スカイライン と ゼファー

私は機械が好きなので車やバイクにも愛着があります。
1990年6月私は初めて自分の車を買いました。
当時の私の収入では新車を買うなんて無理でした。
近所の中古車屋さんに行って一番安い車を探しました。
若い店員さんが勧めてくれたのが、買うことになったスカイライン。
1982年製で車齢8年、店頭価格23万円、すぐ値引きしてくれて18万円で購入。


購入して1ヶ月後に安房峠を越えて能登半島までドライブした。
上の写真は、石川県羽咋(はくい)市の「千里浜なぎさドライブウェイ」で撮影。



バスの走らないところにも行けるのが魅力だった。埼玉長野県境三国峠で。


故郷の瀬戸内海の島々も小さなフェリーで旅しました。



バスの行かない登山口にも行きました。薬師岳に登る為に神岡鉱山から林道に入る。



八ケ岳連峰を横断する国道299号線の最高地点で(現在の国道最高地点は草津白根)。


1999年5月、車齢17年、雨漏りするようになり車検切れを機に廃車。


代わりに購入した2代目の車も中古のスカイライン、車齢5年、89万円。
1994年製R33、NISMO仕様のクーぺで太い255のタイヤを履いていた。

1999年10月信州美ヶ原王ケ塔で。後方は北アルプス。

タイヤは205のノーマルに戻し、交通規則遵守で安全走行の模範車です!(^^)
2005年6月現在、今も使用している。すでに車齢11年。まだまだ元気。





ピカピカ?のGTなのに、未舗装の林道も走っています。
上から2番めの写真と同じ場所ですが、15年の隔たりがあります。
秩父多摩国立公園から秩父多摩甲斐国立公園に看板の文字が変更され、
看板周辺の道路際に自然に木が生え元気に育っています。

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僕のスカイラインR33(車齢23歳)ついに、2017年2月吉日廃車

最後の1年は名残惜しみつつ蓼科や霧ヶ峰へ2月に1度の割で5回行った。

高原の道<ビーナスライン>がよく似合った。

以下の写真は、秋、信州の山に初雪が降った翌日に出かけた時のもの



















車齢の割に走行距離が数なかったせいもあるが

最後までエンジンもブレーキもステアリングも絶好調だった。

僕が自分で解体工場まで運転して行き、車を残して帰るという別れ方だった。

なお、鉄屑としての代金2万円を現金で受け取り、車検証を渡して廃車完了。

後日、税金と保険料の還付金が口座に振り込まれた。さよならスカイラインR33

(2017年4月6日追記)


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1990年8月USAコロラド州で(ポンティアック)

ソルトレイクシティで借りた車でロッキー山脈を越えてデンバーを往復。
このときは、10日間の観光ドライブで2600マイル(約4000km)走った。

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1993年8月USAコロラド州で(車種は忘れた)

デンバーで借りた車でロッキー山中を走り回り、2100マイル(約3300km)走った。

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1991年12月ニュージーランド南島で(トヨタカローラ:MT車)

クライストチャーチで借りた車で南島を縦横断し、2週間の旅で約2700km走った。

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35歳の時、始めて自動二輪(中型)の免許を取得。新車のゼファー400を購入。
いい歳してバイクの魅力にはまり、旅行も登山も通勤も出張もこいつに跨った。
天気がよければスーパーへの買い物にもリュック背負ってこれで出かけた。



北海道に2回、東北に1回、信州には10回程ツーリングした。
この写真は職場の仲間と日光白根方面へ行った時。上の写真は信州蓼科で。
自慢じゃないが整備は全て自分でやったし、車検も自分で行った。
8年乗って、あちこちに痛みが生じ廃車。ナンバーは自分で陸運局に返しに行った。
もしも再び北海道や信州に住むことになれば、またバイクに乗ってみたいと思う。

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追記(2018/5/29)
高齢者の運転ミスや交通事故がニュースで報じられる度に考えます。

1.
前回58歳の時の免許証更新の時のこと、私の前に並んでいた人の視力検査が時間がかかりました。
その人は明らかに80歳以上と思える高齢者の女性で、視力検査がなかなかパスできないのでした。
視力が不合格なら更新はないのではないのかと思いましたが、その人は別室での再検査になりました。
結局その方もビデオ学習を経て無事新しい免許証を得ましたが、それってどうなのかなと思いました。
お年寄りや体の不自由な人だからこそ車の運転が必要なのだという考え方もある事は承知しています。

2.
昨日は90歳の高齢者が赤信号を無視し、横断歩道を歩いていた人を死亡させました。
最近、高齢者による死亡事故が多い感じがします。登校中の小学生の列に突っ込んだ事故もありました。
確かに車が高性能になり機能が増えて操作が複雑になったことも要因ですが運転意識の問題だと思います。
私は60歳を過ぎて退職したのを機に自家用車を廃棄し運転は止めました。
車の運転に必要な体力や運動能力、状況の判断能力などに問題はないと思っていますが、
運転中の脳内出血や心臓発作など若い時よりリスクは高い訳で起きた場合は重大事故に成りかねません。
充分休んだ上での運転であっても、運転の疲労による注意力低下は歳と共に確実に起きます。

3.
高齢者が何故に車の運転をするのかといえば理由はいくつか考えられます。
昔と違って高齢者が高齢者だけで生活しているケースが多く自分で運転しなければならないこと。
バスや鉄道のローカル線が減便或いは廃止されて公共の交通機関が大変不便であること。
街中に散在していた町医者や商店が廃業し町外れの総合病院やショッピングセンターに移行したこと。
車の所持や運転が経費的にも年金や生活保護(車の所持は認められている)の収入で十分可能なこと。

4.
車の運転操作が容易になり安全装置も備わって、運転に対する過剰な自信を持つようになったこと。



私の交通事故記録(全3件)
1.
旅先の富山市内で横断歩道の歩行者待ちをしている時、後ろから来た乗用車に追突されました。
駅に夫を送る途中のご婦人の運転でしたが夫婦の会話が盛り上がっての前方不注意の様でした。
警察による現場検証で足止めを食い加害者の謝罪も無く旅の途中で不愉快な思いをさせられました。
尤も私の車には後ろのバンパーに傷も無く物的損害は無し。相手はヘッドライトが割れていました。

2.
片側3車線の東京環状○号線の交差点の真ん中で右折待ちをしていたらワンボックスに追突されました。
対向車の交通量が多くて車外に出られず待っていたら追突したドライバーがおりて来ました。
窓を開けると「見たら車に問題ない様だけど怪我はある?」と軽いノリ。「無いと思う。」と答えました。
右折して取り敢えず左に寄せて停車したら後ろの車は追い越して行ってしまいました。
安全を確認して車外に出て車の後ろを見てみたらバンパーが大きく凹んでいました。

3.
通勤の帰り道、対向車がないので右折しました。そしたら原付バイクが突然現れて、「えー!?」
歩道を走ってきたオバさんの原付バイクが私の車の左ドアに追突しました。「やっちまったー」
サンダル履きのロングスカートひらひらのと相手の格好を責める権利はありませんが「歩道を走るの?」
って感じです。転倒するほどの衝撃ではなく原付の前の籠が少し変形しました。オバさんは乗ったまま。
私は自分の不注意?を認めて謝罪しました。手で籠の変形を直し、一応「お怪我ありませんか?」と。
「一応、警察呼びましょう。」と言ったら、オバさんはそれを強く制止しました。
「じゃあ、念のため近くの病院で検査しましょうか」と紳士的に?対応し、職場の名刺を渡しました。
数日後、バイク屋から修理代約9万円、人間ドックの請求書約12万円、見舞品の要求書が届きました。
私は「やばい」と思いました。これで終わる気がしなかったのです。警察に事故の報告に行きました。
相手が拒否しても事故の通報はその場ですぐしなければならないとお灸を据えられましたが、
警察が間に入ってくれたお陰で相手の悪質な要求はその後ありませんでした。


私の交通違反(全1件)
交通違反が1件だけとは言えません。捕まらなかっただけでスピード違反は何度もしたことを認めます。
狭い街並みに迷い込んで一方通行違反をして地元の商店街の顰蹙も買ったこともあります。
自覚がありませんが駐車違反もあったかもありません。
ただ、踏切の一旦停止(一旦徐行ではなく)は自信を持って励行しました。そのため顰蹙も買いましたが。
私が車の運転中に交通違反をしてパトカーから停止を指示され警察官からご指導を頂いたのは1件だけです。
免許取って間もない頃に京浜工業地帯の見学に行きました。言い訳になりますが交差点の信号機は
大型のトラックに対応した設置になっていて分かりづらかったのです。「どの信号見れば良いの!?」
と思いながら停止線の手前で止まりました。パトカーのスピーカーから私の車を呼ぶので指示に従いました。
指定された場所に車を止めると警察官が来て信号無視をしたと言われました。「やっぱ、そうなんだー」
結局私が初犯であることから、「今回は違反切符を切らないけれど」と長いお説教を頂きました。
「ここは普通の車が来るところじゃないんだ」と言う最後のお言葉に何度も頭を下げ、一件落着。
乗っていた車がターボ付きエンジンの2ドアのスカイラインだったので説教も長めになったように感じます。


ちなみに2輪バイクでの事故と違反は、山道での転倒(単独)事故、小田原市内の1国のクランクでの
車線変更禁止区間違反の1件です。