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急行讃歌 | ||
2007年4月1日現在、JRの「急行」(ここでは「特別急行」や「快速」の類とは厳密に区別する。急行列車の定義は知らないが、「急行券」を必要とする列車のことである。)は次の、定期列車の9往復だけである。 | ||
「銀河」1往復 「能登」1往復 「きたぐに」1往復 「はまなす」1往復 「つやま」1往復 「みよし」4往復 (以上9往復は、2007年3月18日の時刻改正でも生き残った) |
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※2009年12月現在 「はまなす」、 「きたぐに」、 「能登」 だけになってしまった。 |
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下り「銀河」、東京23:00発、大阪7:18着、列車番号101 | ||
上り「銀河」、大阪22:22発、東京6:42着、列車番号102 | ||
現在、日本の2大都市圏、東京と大阪を結ぶ唯一の夜行列車である。 ちなみに、新幹線開通直前の昭和36年9月号の時刻表を見ると、東京から関西に向けて20:15発の「月光」を皮切りに15分間隔で12本の夜行急行が発車している。この12本の中に「銀河」はある。 なお、現在の東京から大阪へは定員約千人の新幹線が1時間に最大11本、同じく約5百人の飛行機が伊丹・関空合わせて日に43便飛んでいる。「銀河」の定員は約240人。 |
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全車寝台車のため時刻表や駅の案内板では「寝台列車」に分類されている。車内でのアナウンスでも、車掌にもよるが「寝台列車」あるいは「寝台急行」、「寝台専用の列車」などの表現が使われていて、「自由席のある夜行列車」とは意識的に区別されている。ちなみに、寝台専用の列車は私の知る範囲ではヨーロッパでも中国でも合衆国でも存在しない。 | ||
編成は、車体がブルー(紺色)なので「ブルートレイン」と呼ばれる車両が使われる。1970年代以降に増発急増する寝台列車のために誕生した24系25型客車で、電気機関車が牽引する客車列車である。走るホテルと言われた20系編成は24系や、ほぼ同じ時期に誕生した14系(電源車を連結しないタイプ)に置き換えられた。25型はそれまで3段だったB寝台を2段にした形式である。大阪側の編成端に電源車を連結している。元は特急用の編成で食堂車も連結されていたが「銀河」には連結されていない。現在はA寝台1両とB寝台7両の短い編成である。最大は14両であるので利用者が少なくなった事を意味するが、古くなった車両が順次廃車にされているからではないだろうか、は私の見解である。 | ||
私は15年ほど前に一度だけ利用した。新幹線や高速バスと比べて料金的にも設備的にも魅力は薄い。東京で夜11時近くまで用事があり、大阪で明朝8時頃から用事がある場合の移動手段の選択肢は、早朝に羽田を発つ飛行機や夜行のハイウエイバスもあるが、天候にも左右されず、空港までの道路の渋滞の心配もなく、安全性も高く、あるいは好みの理由で「銀河」を選ぶ人がいるのであろう。いずれにしろ、「急行」ではあるが距離の割に高価な「寝台料金」を必要とするので、交通費が会社から出る多忙なビジネスマンや芸能人、あるいは飛行機やバスなどは論外といった御老人が主たる利用者であろうと推察される。数は少ないだろうが常連がいるのかも知れない。無くならないのが不思議な列車である。 | ||
下り「能登」、上野23:33発、金沢6:38着、列車番号611M | ||
上り「能登」、金沢22:15発、上野6:05着、列車番号612M | ||
北陸地方は富山、高岡、金沢などの都市がかたまって存在し、さらに黒部立山、能登輪島といった有名観光地、宇奈月や和倉などの温泉地が点在し、人の行き来が多いにもかかわらず、新幹線がまだ至っておらず、でも東京からの移動手段として鉄道が選択肢の中に十分入る距離にあり、その上しばしば高速道路が渋滞してしまうという、JR在来線にとっては最高の地域であるのだが、ホテル代わりに一晩ゆっくり寝ていられるほどの距離でもなく、同じ区間を走る寝台特急の「北陸」が睡眠時間を確保する為にわざわざゆっくり走っているのを座席車のみの為早く目的地に着きたいはずの急行の「能登」が立場上追い越す事もできないでのろのろ運転につき合わされている中途半端な列車である。存続理由は新幹線が開通していない為の輸送量の補償であり、寝台特急「北陸」の補完である。夏山シーズンには立山から北アルプス入りをする登山者にとって貴重な列車でもある。私もその目的で何度か利用している。 | ||
寝台列車の「北陸」と殆ど同じ時間帯を走るので急行の「能登」には寝台車は連結されていない。現在は昼行特急用の電車を利用しておりグリーン車も1両連結されている。「北陸」の車体は錆が露出するほど老朽化が進んでいるので、「北陸」を吸収合併して、寝台車を数台連結した夜行急行「能登」に1本化して良いのでは、は私の考えである。できれば「能登」の名前にちなんで和倉温泉まで延長運転されれば楽しい列車になると思う。 | ||
※2009年12月月追記 来月つまり2010月の1月にこの「能登」号に乗る計画を立てている。大人の休日倶楽部の3daysパスを利用するので残念ながら始発駅の上野からではなく午前0時1分発の大宮から乗る。地味な存在だがグリーン車も指定席もラウンジもあり、車両は特急用である。夜通し乗るのでグリーン車に乗りたいが普通車指定席で我慢する。指定席を利用すれば列車名の入った指定券が手元に残り記念になる。終着の金沢からは特急に乗り継いで紀伊半島一周の旅に出る。その間に福井鉄道、近江鉄道、信楽高原鉄道(旧信楽線)、名松線、おおさか東線の初乗りを行い未乗線区の乗り潰しを一気に行う。大阪からは「きたぐに」に乗って帰路に就く。 |
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下り「きたぐに」、大阪23:27発、新潟8:29着、列車番号501M | ||
上り「きたぐに」、新潟22:55発、大阪6:45着、列車番号502M | ||
大阪と新潟を結ぶ夜行列車として寝台特急「つるぎ」があったが、それを吸収し、走行区間を夜行区間だけに短縮して現在の583系「きたぐに」が誕生した。 新幹線の無い日本海側を走り、途中に福井、金沢、高岡、富山といった中都市があり、長岡で早朝深夜の上越新幹線に接続していて、しかもA寝台、B寝台、グリーン車、普通車と多様なニーズに対応した客車を連結しているので一定の利用者はいると思われるが北陸新幹線開通後は廃止されると思われる。鉄道マニアの私としては現在生き残っている唯一の583系寝台電車であり、唯一の3段寝台の列車であり、数少なくなった急行列車の一つであるという点でまこと貴重な列車である。 |
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かつて「きたぐに」は大阪と青森を結ぶ急行だった。新潟までA寝台とB寝台を連結し、全区間食堂車オシ17を連結していた。不幸にも食堂車の火災事故があり、食堂車は編成から外され、普通車はオハ12系になって魅力が薄れた。私はその頃に大阪から青森まで乗っている。青森着が夕方。青函連絡船との接続は悪く、青森駅の広い青函連絡船待合室で2時間待って函館に深夜に着いた。私は多くの客と先を争うようにして札幌行きの急行「すずらん」に乗り込んだが倶知安経由の夜行の普通に乗り継ぐこともできた。私は早朝の札幌でさらに急行「狩勝」に乗り継ぎ、終着の釧路で釧網本線の客車列車に乗り継ぎ、さらに標茶で根室標津行きのディーゼル普通列車に乗り継いで夕刻最果ての駅に降りた。ちなみに根室標津行きには釧路発の標津線直通の急行「しれとこ」もあった。「きたぐに」は周遊券を使いユースホステルに泊まる関西方面から北海道内への若い旅人には利用価値のある列車だった。 | ||
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