旅は孤独で悲しくて苦しくて辛いものでした。

自分はいったい何をしているのだろうと思うこともありました。

旅は日常とは異なる場所への移動だと思っています。

広い意味では本を読んだり映画を観るのも旅と言えます。

ですから病室に寝たきりでも旅はできます。

ですが、ここでは狭い意味での「旅」です。

旅には観光(=心で見る)が付き物です。(CF:観音=心で聞く)

予期せぬ景色に衝撃を受けます。

陽が傾いた夕暮れ、霧が晴れて広がった海の輝き。

ガスがスーっと消えて眼前に広がった剣岳の岩肌。

幾つも思い浮かんでくるのです。



旅で人との出会いもあります。

土地の人や同じように旅する人との出会い。

人の優しさに触れて生きる喜びを感じます。

教えられたことが自分の人生を見つめ直すきっかけになったりします。

そのために私にとっては一人旅であることが必要でした。

そして登山もまた私にとってはその意味で旅でもありました。

なぜ旅に出るのか山に登るのか。自分でも考えますが

なぜ生きるのかという疑問と同じことのようです。

答はあるようで無いのです。

答えを得られないまま生きねばなりません。

それが生物の宿命だからです。

人間は言葉で考えるようになって

自分のすることに疑問をもつようなったのです。

地球はやがて燃え尽き、宇宙の終わりもやってきます。

元に戻ることを受け入れなければならないのです。

旅も然り、恋も然り、人生も然りです。



タイ北部の都市チェンマイの小さな旅行会社が企画した
「少数民族を訪ねたり象に乗ったり筏で川を下る日帰りツアー」に参加しました。
参加者はこの人達で全員です。取り敢えず行ってみましょう的な適当なツアーで、
何時しか運命共同体となっていましたが、皆とても「適当に幸せ」なのでした。





21歳〜22歳、この白樺湖ユースホステルで働いていました。
ここのペアレント(所長)は人生最大の恩人であります。









私が中国を旅した頃は、まだ多くの人が「人民服」を着ていました。
学ランにも国鉄の機関士の制服にも似ていて親近感がありました。





1990年頃。冬山は山男を惹きつけてやまない。
周囲から冬山は危険だと決めつけられ、結婚により冬山を失った。





1980年代の冬のキャンプ場
GTカーのレースでスカイラインGTRばかりが目立っていた時代
キャンプ場では右も左もダンロップのドームテントばかりでした。
手前左端が私のテント。
で、流行りものが案外好きな私はスカイラインに27年間乗り続けたのでした。




1980年代の夏山。あの頃の登山者は若者が多かった。
今は中高年ばかり。私もその一人。つまりあの頃の人達が今も登っているということに。
1950年代から登山がインテリから一般労働者にブームが広がりました。
週末の山小屋は超満員。キャンプ場もテントで所狭し。登山者を乗せた夜行列車も満員でした。





独身貴族の頃。山を目指して、韓国、中国、スイス、ネパール、アメリカへ行きました。
目標の山に登った後、のんきにスキーを楽しみました。標高3800mのゲレンデです。
ちなみにリフトは乗り放題。無料でした。すぐ乗れました。待ちません。
社会資本という点で言うと日本は欧米に比べまだまだ後進国です。




たまたま石垣島のユースホステルで一緒になった4人が意気投合して
翌日YS-11に乗り与那国島へ行きました。日本最西端の西崎(いりざき)で





ヒマラヤトレッキングでポカラからダウラギリの麓を目指しました。
ポーター(後ろの男性)と炊事係のラッパ(左、16歳)とミンマ(右、15歳)
若い子を雇ったりしてって言わないでください。
我々のようなトレッカーは、若い人の雇用を生んでいるのです。
なので、敢えてザックを運んでもらい、炊事をお願いしました。
彼らはゴム草履で山道を歩きます。農家から炊事のための薪を買ってきます。
ザックの中に登山用のガスコンロが入っていることは最後まで言えませんでした。





看板に「No Vacancy」の表示が見えます。宿泊者は5人ほどでした。民宿(B&B)です。
アメリカではホテルでも民宿でも必ず入口に「Vacancy」か「No Vacancy」の表示があります。
予約が当たり前になった日本と違って、車で走りながら宿を探すのが普通のアメリカは
私にとってとても旅しやすい国でした。レンタカーもガソリンも安くてルンルンでした。









一人旅では記念写真はいつも誰かにシャッターを押してもらいます。
車内を通りがかった車掌さんに頼みました。すると、
「外で列車をバックに撮りましょう」って言ってくれて(もちろん英語)、
日光の関係でホームと反対側に出ることになり(日本ではありえない!)
近くにいた人が「私がシャッター押すから二人並んで」と言ってくれて、
結局このような写真になりました。車掌さんと一時だけのデートです





愛用のバイオリンと


楽器ケース担いで山も歩くのだ


愛用のチェロと

弦楽器は自然の中で弾くのが気持ち良かけんね。
安物楽器の特権じゃけん。





飯豊山頂上で日本100名山(深田久弥選)登頂達成
(退職前に達成したことに意味があるのであーる。2016)


小林 敏伸 ( Shourin Binshin / Kobayashi Toshinobu )



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