100名山を目指して、年に数回の登山の日記(W) 戻る
深田久弥は好きな登山家です。
100名山の選抜には多少の異議はありますが、「日本百名山」は愛読し、
その完登を目指しています。
日本百名山、私にとって第1番めの鳥取県大山に30年振りに登り納め
平成21年8月17日(月)今年初めての山歩きです。
今年は福島県の磐梯山にでも登ろうかと思っていましたが、
夏になりお盆が近づいた頃に、故郷の海や山が見たくなりました。
百名山の完登は足踏みすることにして懐かしい山に登ることにしました。
私が30数年前に始めて登った山らしい山は大山(伯耆富士)です。
年齢や地理的な事情を考えると大山登山はこれが最後になりそうですが、
お盆の終わり8月15日(土)の夜行列車「サンライズ出雲」号に乗車しました。
高梁川や宍道湖の美しい車窓を堪能しつつ10時頃出雲市駅に着きました。
「一畑電車」に乗り継ぎ、宍道湖を眺めながら松江に向かいました。
今回の乗車で今まで未乗区間だった出雲市〜川跡に乗り、一畑電鉄完乗しました。
松江でレンタカーを借りました。国内でレンタカーを借りるのは3回目です。
七類港から美保関までの山陰海岸沿を海の景色を楽しみながらドライブしました。
弓ヶ浜の雄大な海岸に立ち寄り、大山口駅前を通って大山登山口の大山寺へ。
夏休み中だから賑やかだろうと思いましたが広い駐車場はガラガラでした。
沢山ある宿やお店にも人影が無く、まるで廃墟の様でした。
寂しい大山寺は通り越して枡水高原へ行きました。
広い駐車場はとても綺麗でしたが車は一台も泊まっていませんでした。
その夜駐車場のレンタカーの中で宿泊。コンビニで買った弁当が夕食です。
夜中に目が覚めて外に出たら天の川が綺麗でした。視力0.5でもはっきり見えました。
4時に登山口の駐車場に移動。立派な公衆便所で顔を洗ってから登山靴を履きました。
登山靴と言っても長年愛用してきた「ゴロー」の登山靴ではありません。
今回は旅行鞄の中にサブザック、雨具、非常食、登山用の靴を入れてきました。
今回の登山用の靴は軽い革製のハイキングシューズです。
激しい雨には耐えられませんが半日程度の山歩きならこれで充分です。
少し明るくなって空の中に木の枝が見えるようになった4時50分登山開始。
5時丁度に一合目通過。5時10分丁度に二合目通過。5時20分丁度に三合目。
5時50分丁度に6合目。30年前と変わらない非難小屋が健在でした。
建物に痛みは無く、中を覗くと綺麗だった。昔の方が汚かったと思います。
登山者のマナーが良くなったのかと思いましたが、
登山道の隅のうんこの上に大量のチリ紙が乗っていたりでガッカリもしました。
六合目で10分休憩し頂上には6時35分に到着しました。
上空には厚い雲があり、眺望はすっきりしませんでした。
しかしキャラボクの純林は相変らず綺麗でした。
頂上付近は整備されていたし新しい山小屋もありました。
昔の頂上小屋はセメント製でジメジメしていました。番人がいて売店もありました。
私は1度泊まったことがあります。その時は、たまたま山陰放送の人達が来ていて、
エキストラを頼まれて頂上で沈む夕日を1人で見つめるシーンなど撮影されました。
小屋の中で番人と会話するシーンや翌朝キャラボクの中を歩くシーンも撮影されました。
どんな風に放映されたか知りません。
人工的に整備され公園のようになった頂上は私向きではなかったので、
写真だけ撮って6時40分に下山を開始しました。
一応頂上で記念撮影。後ろは新しくなった頂上小屋。
頂上から南壁を見る
9合目付近に広がるキャラボク純林。
8合目から見た北壁。
8合目から見た麓の大山寺旅館群。
8合目から見た麓の桝水高原。夜を明かした広く綺麗な駐車場。
八合目付近で北壁を眺めながら5分程休憩し、7時40分下山を終了しました。
登る途中で2組の子供連れを追い越し、下る途中で登りの20人位と擦違いました。
食料には手を付けず、ペットボトルのお茶を半分程飲んだだけでした。
大山寺にユースホステルが今でもあるかしらと探してみましたが、
それらしい建物は見つけることができませんでした。多分もう無くなったのでしょう。
私はそこに1度だけ泊まった事があります。
食堂の壁に昭和40年頃に放映された「太陽の丘」の大きな写真が飾ってありました。
今は山にも観光地にも若者(大学生)の姿が無くなったような気がします。
今山は高齢者の方に人気があるようですが、ワンゲル部などの学生の姿は無くなりました。
下り勾配の長い直線道路を米子近くのICまで走り、松江中央ICで一般道に下り、
時間が残っていたので松江市内をのんびりドライブして、10時25分に車を返却。
駅で「出雲蕎麦」を食べて10時58分発の列車に乗りました。
宍道駅で乗り換えて木次線に乗りました。とても味わい深い線で途中下車したいのですが、
接続の都合で終点の備後落合まで乗り通します。
私以外にも明らかに鉄道マニアと思われる客が3人いました。
途中の出雲坂根〜三井野原の雄大なスイッチバックを堪能し、
JR西日本で最高高所の駅の三井野原を通り、秘境駅化した備後落合に着きました。
昔は急行「ちどり」や急行「たいしゃく」が通る山間の重要な接続駅でした。
ホームには「立ち食い」もあり、「おでん入り」の「そば」が美味しかった。
接続良く乗り換えた新見行きのDCは25パーミルの連続勾配を登って道後山駅に到着。
道後山駅は確か標高610mで芸備線一。
若い頃この駅から道後山頂上まで歩いたことがあります。
ワンマン1両のDCは木の枝を車体にぶつけながら山間をのろりのろり走りました。
いたるところ15キロの制限があり、おそらく保線が追いつかないのでしょう。
金を掛けて保線するほどの利用者はいないし、速度を下げる処置で耐えているようです。
SL時代マニアでごったがえした布原信号場は駅に格上げされていました。
1両分しかない短いホームは信号場時代のままでした。
ホームが短いので、伯備線の普通列車はこの駅では客扱いしません。
谷底の布原駅の周辺には数件の農家と田んぼがあるだけで人影はありませんでした。
D51三重連の撮影場所だった鉄橋を通り過ぎトンネルを抜けて坂を下ると新見駅です。
上下の特急がそれぞれ1時間おきに停まる新見駅も今はただのローカル駅でした。
昔は構内にD51やC58がいっぱいいてホームも主要駅らしい賑わいがありました。
新見で電車に乗り継ぎ、倉敷で下車しましたが、倉敷は何年ぶりでしょうか。
両備観光でバス添乗員のアルバイトをしていた頃、
この駅の改札口で修学旅行を出迎えたこともありましたが、
駅は近代的なビルの中に変わっていました。昔の面影は全くありません。
正直言って旅の情緒は駅前には全く無くなく「倉の街」の玄関口とは思えませんでした。
水島臨海鉄道には初めて乗りました。少しの間ですが海が間近に見えて感動しました。
その夜は尾道に泊まりました。アーケードの商店街や歓楽街が近い海の傍のホテルです。
前回着た時は山の上のホテルに泊まりました。景色は良かったのですが不便でした。
夜、2軒のお好み焼き屋に立ち寄ってビールを飲み、大山登山を1人祝いました。
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