2017年〜
真空管に魅せられてアンプ製作・ラジオの修理


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自作PC・マイコン

自作ソフト

真空管アンプの作成(1)(2018/3/21追加変更)

真空管ラジオ(2018/3/21追加変更)

真空管アンプの作成(2)(2018/9/12up)

アンプの修理(2021/1/27up)

チューナーの修理(2021/4/25up)

CDプレーヤーの修理(2021/6/22up)

真空管ラジオの製作(2021/11/26up,2022/1/16追加変更)

真空管ラジオのフル整備(2022/1/13up)

真空管ラジオの整備(2022/3/25up)

真空管ラジオの整備(2)(2022/12/2up)

真空管ラジオの整備(3)(2022/12/2up)

真空管ラジオの整備(4)(2023/1/15up)

真空管ラジオの整備(5)(2023/9/14up)





世の中には釣具や猟の犠牲になった傷ついた野鳥を引き取って治療している獣医さんがいると聞きました。
生物学も医学も縁遠い私には出来ない行為ですが、私には古くなって動かなくなった機械が傷ついた野鳥と同じように思えます。
直してやればまだ動けるのにと思うのです。公園にほぼ放置状態にされた蒸気機関車や軽便車両は流石に私には無理ですが、
でも、真空管ラジオや振り子時計、デスクトップPCくらいなら助けてあげられそうに思うのです。
小学生の頃から機械いじりが好きでした。作ることはプラモデルから料理まで好きでした。貧しい家だったので直すことは服から机まで直しました。
中学生の頃から電気や無線に興味を持ち始め、独学でアマチュア無線の国家試験もパスしました。トランジスターラジオも組み立てました。
高校は工業高校の電気科に進みました。大学指向の家系だったので親戚中の顰蹙に耐えながら通いました。製図は得意でした。
高校2年の時に高校にコンピュータが設置されました。鉄腕アトムに出てくるような機械を目の当たりにして私の将来が希望で輝きました。
小さい頃から鉄道ファンでもあった私は国鉄の機関士になって堅実な人生を歩むつもりでいましたが、赤字を抱えた国鉄が経営合理化のため高校生の新規採用を見送った年に当った不運がトリガーになり、コンピュータを学ぶため大学に進学しました。
大学時代は汚れた社会に関心が向きデモに参加するようになり、恋も上手くいかず、それらから逃げるように始めた山歩きが好きになり、大学の授業やゼミにも失望し、3年の途中で退学しました。
定年退職して心のゆとりが出来た今、若い頃の趣味が甦ってきたように思います。
1968円12月10日の3億円事件、翌年6月の高野悦子の自殺、小田実の「何でも見てやろう」などに私の純粋な青年期は影響を受けたようです。

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